張掖編・2

黒水国城遺址

 09:45、流しのタクシーを捕まえて「黒水国城堡遺址へ行きたい」と告げる。1台目は場所がわからないといって断られた。2台目の運ちゃんが多分わかる、というので乗った。日本人だというと、去年乗せた日本人にもらったんだ、とキーホルダーに付けてある50円玉を見せてくれた。そうそう。こういうとき、自国のお金やなんかを見せたりあげたりすると、喜ばれるのだ。だがあいにく私は中国元の財布と日本の財布を完全に分けているので、いつも持っていない。30分走り、10:15、それらしき場所に到着。この看板はどうも、この遺跡をダシにしたレストランか何かの看板のようだ。

 看板を左折して少し走ると、遺跡に着いた。なるほど、砂に埋もれている感じが雰囲気あって、観光客向きなわけだ。しかし人は誰もいない。


石碑を見ると、この南城は明代のものらしい。道理で城内には、やたら新しい磚がガラガラ落ちている。するとこの辺り一帯によくある明代の要塞遺跡であり、さほど珍しいものではない。ただ、埋もれっぷりがロマンをかきたてる場所ではあるため、ガイドブックに載っているのかもしれない。北城では古いものも採集されているようだが、タクシーを待たせていることもあり、今回は探さなかった。城内に散乱している磚を使って、地元民か誰かが文字を作ったらしい。城壁のほか、城内にも何か建物の壁が一部のこっている。



なんだかんだ、見ていたら30分以上経っていた。タクシーに戻り、市内の大仏寺まで。メーターは73元だったが、70元にしてくれた。

大仏寺

 11:20、大仏寺(宏仁寺)到着。西夏の永安元年(1098年)創建。マルコ・ポーロが『東方見聞録』に記録を残している。また、フビライ・ハンの生まれた場所であるらしい。

敷地内には、大仏殿・万聖殿(芸術庁)・蔵経殿(経籍庁)・金剛宝座塔(土塔)が並ぶ。一見地味なお寺だが、中の展示施設がかなり充実していて、おもしろい。

大仏殿の中には、体長34.5mの涅槃像が安置されている。大き過ぎて一度に見れず、全体像がよくわからないレベル。大仏殿の外側には、仏画が彫刻されている。



万聖殿、その中は仏教芸術陳列室として展示室になっている。大仏寺出土の碑刻や碑、仏像、仏画などのほか、張掖周辺の石窟寺の紹介などもされている。


蔵経殿。中は仏教経籍陳列室になっている。特に、明正統十年(1445年)に英宗帝の命で保存された「北蔵」経典についての展示、またその実物が見物。藍色の紙に金字で書かれた「泥金経」は荘厳で、迫力がある。また経典が丁寧に布に包まれ、木箱に入れられ、専用の棚に保管されていた様子も展示されている。




一番奥には金剛宝座塔がある。

万寿寺木塔

 健身広場の脇にある。もともとは唐代の創建だが、今のものは1925年に再建されたもの。釘を一本も使わない木造建築。5元で登れるが、やめておいた。

鎮遠

 これもなんてことのない、鐘鼓楼。酒泉のよりかなり大きい。中には入れない。


 ここまで見終わって13:30…。張掖にもう一泊する予定だったが、思いきって今日のうちに次の町に移動してしまうことにする。武威まで4時間とのこと、なんとかなるだろう。バス移動は、日のあるうちに着きたい。馬蹄寺石窟など、50〜100km郊外にはまだ見どころがあるのだが、それぞれ丸一日コースなので、今回の旅ではカットしてしまった。
 14:00、ホテルをチェックアウト。チェックアウト時間は12時までなのだが、大目に見てくれた。タクシーで東バスターミナルに向かう14:30、武威行きのバス発車。56元。4時間20分かかった。しかしそれは途中の山丹バスターミナルで小一時間の意味不明な停車があったためであり、あれさえなければもっと早く着いただろう。