ハノイ・コーロア遺跡

ハノイ市街から北東に10km(直線距離)ほどにある、Co Loa村にコーロア城の遺跡がある。紀元前257年に安陽(アンズォン)王が文郎(ヴァンラン)国を併合して立てた、甌貉(オウラック)国の都、古螺(コーロア)城の跡だと言われている。その甌貉国も前208年に南越国に滅ぼされてしまい、さらに前111年に前漢武帝南越国を滅ぼし、以後北属期と呼ばれる1000年の長きにわたる中国支配を受けることとなる。しかし安陽王の物語は伝説に彩られており、実在については不確かとされている。
中国支配以前、つまりベトナム独自の文化によってつくられた城であるということで、意味をもつ遺跡らしい。3重の土塁(城壁)と水堀に囲まれており、一番内側に寺や廟がある。


そのほかコーロア城についての情報はこちらなど


コーロア遺跡を目指すべく、ホテルのフロントにてバスターミナルの場所を聞くと、外国人が地元のバスに乗るのは危ないからやめた方がいい、と止められる。そして、コーロア+バチャン村をまわる車を用意するから、2人で46ドルでどうだ、と提案される。コーロアまでの距離感も相場もわからないので、フロントのお姉さんの提案に乗ることにする。ややマニアックかつ観光用に整備されている場所でもないので、観光ツアーなどでは行くことができない。この日は朝から雷がぴかぴか、空はいよいよ降り出さんと重い灰色になってきた。天気予報は午前中雨。とはいえ、天気が不安定な状況なので明日も晴れるかはわからない。ということで、嵐が来そうな中、ドライバーのおじさんと3人、出発した。


車にのっているうち、ついに大粒の雨が降り出した。雨による大渋滞で、橋を渡るのに20分ほどかかった。みんな交通手段がバイクなので、雨でもレインコートを着て強行突破するのだ。窓の外は、えらいことになっていた。

堤防沿いの道は、河になっていた。これがスコールというやつか。雨期というせいもあるのだろうか。途中いくつかの渋滞を抜け、50分ほどかかってコーロアに着いた。その頃には雨も一段落して、なんとか車から降りられるようになっていた。
 


弩を構えて佇む安陽王が、出迎えてくれる。ここはCong den Co Loa (The Gate of Co Loa Temle) 蜀安陽王祠廟。中に入ると、おじさんたちが4人ほどテーブルに腰掛けてお茶を飲んでいる。どうやらここを守っている人たちのようで、お線香を渡され、お参りの仕方を教えてくれた。
 
 
他の建物に移動しようと廟を出ると、おじさんの一人がついてこいという風なジェスチャーで歩き始める。次の建物の近くまで来たとき、また雨が強く降り出した。閉まった門の軒先で少し弱まるのを待った。少し周辺を歩いてみると、近くに城壁と思われる土塁があった。
 
そして隣の廟。安陽王の銅像があり、こちらが本殿なのだろうか。「コーロア遺跡保存と整備のためのお志」を募っており、芳名帳に名前と寄付金額を記入。1人20000ドンずつ寄付してみた。寄付の証明書のようなものをもらう。
 
  


そしても一つのディン寺に向かうも、あいている気配無し。雨のせい?この中にコーロアの出土遺物や説明といった、博物館的スペースがあるはずなのだが、残念。また安陽王との伝説があるミーチャウ姫もここに祀られているはず。


安陽(アンズオン)王とミーチャウ姫の伝説については、ベトナム便り・さくらの日記さんから引用させていただきます。

オウラク国の王はアンズオンと言いました。この国にはキムクイ(金亀)の爪から作った魔法の弓があり、どんな敵も倒し、とても栄えました。チョウダはいくら戦っても勝てないため、息子のチョントイをアウズオンの娘ミーチャウと結婚させます。そしてチョントイは、ミーチャウからキムクイの秘密を知り、弓をすり替え、親が病気と偽って中国に帰っていきます。この機会にチョウダは王ラク国を攻め滅ぼします。チョントイが帰国する際、2人が離ればなれになったら、自分の通ったあとにガチョウの羽をまいて居場所を知らせると約束していたのでです。海辺まで逃げてきたアンズオン王と娘のミーチャウ姫は、居場所を突き止められます。アンズオン王は、キムクイから「裏切り者はミーチャウだ」と聞き、ミーチャウの首をはねてしまいます。そして自分はキムクイとともに、海の中に去っていきました。後を追ってきたチョントイは、首のないミーチャウを見て自分のしたことを悔やみ井戸に身を投げました。ミーチャウの流した血は海に入って真珠となり、チョントイが自殺した井戸で洗うと輝きが増すそうです。ある時、河をを下ってきた石を陸に引き上げようとしましたが、引き上げられず、コーロアの遺跡まで来たときやっと引き上げられたそうです。それで、人々はこの石をミーチャウが家に戻って来たと思い祀ることしたそうです。(歴史の散歩道より)