02 敦煌2日目前半(莫高窟)

 飛天賓館の宿泊費に朝食は含まれていない。10元出して食堂で食べることができるが、お粥と漬物数品、萬頭と卵が出てくるもののサービスが悪く、服務員1人がだらだらと配膳しているので急いでいる時にはよろしくない。しかも食堂は昨夜の宴会の跡がそのままで、なんだか気分が悪く、ここで食べたのはこの日だけだった。
 8:30にホテル敷地内のツアー会社前から、莫高窟ツアー(といっても送り迎えだけ)に出発。我々の他に西洋人バックパッカーが2人いた。
町中を出ると、綿花畑が広がっていた。まさに今、収穫の季節らしく農民たちが延々と綿摘みをしていた。延々と広がる綿花畑、まだ収穫されていない大量の綿花に、農家の苦労を思いつつ車窓を眺める。

 やがて綿花畑もなくなると、あとは延々と砂礫の荒野が広がるばかりである。

莫高窟


入場料(まだオンシーズン値段だった。多分11月からオフシーズン値段)

  • 中国人160元
  • 外国人180元(英語、日本語のガイド代含む)
  • 学生80元(留学生もOK)
  • 石窟内はすべて撮影禁止
  • 見学の際は荷物を預ける必要あり

 市内から南東へ約25km、ホテルから40分ほどで莫高窟に到着。12時にバスに戻るように言われて、あとは各自自由行動。これで70元とはなんてぼったくり!しかしこちらは何もわからない観光客なので仕方ない。勉強代だと思うことにする。


 莫高窟は鳴沙山(砂丘)東端の崖に彫られた大規模な石窟で、敦煌といえばここというくらいメジャーな観光地である。ゆえに入場料もアホみたいに高い。180元とは、兵馬俑の100元を凌ぐ超高額である。


 石窟の造営開始は伝説によれば366年、残存する石窟では北涼期(5世紀前半)で、以降北魏、隋、唐、五代、元と支配民族を変遷しながらも造られ、信仰され続けた。なんといっても素晴らしいのは色鮮やかな壁画の遺存状態で、これは乾燥した気候と、いずれの時代においても仏教勢力下にあったことにより大規模破壊を受けずに済んだことによる。新疆の仏教石窟はイスラム勢力の台頭により壊されている場合(仏像の目や顔部分を壊すなど)が多い。ただ、20世紀初頭の列強諸国探検隊によって、敦煌蔵経洞出土文書や壁画、塑像の一部が海外に持ち出されている。それらは現在でもドイツ、イギリス、フランス、日本など各地に散ったままである。
 外から見えるのは見学の便のために近年補修された階段や通路だが、そこここに壁画が露出しており、中の撮影はできないためそれらを撮影した。



日本語のツアーに参加して見学した。ツアーは約2時間。最後に蔵経洞前で解散となる。ガイドが各窟の鍵を開け閉めしながら見て回るので、基本的にはガイドなしでは見学できない。沢山のグループがいるので、てきとーにくっついて見て回ることはできる。見学できたのは全部で10窟。いつも同じかどうかはわからない。

  • 第96窟(初唐)
  • 第130窟(盛唐)
  • 第148窟(初唐)
  • 第237窟(中唐)
  • 第249窟(西魏
  • 第259窟(北魏
  • 第428窟(北周
  • 第427窟(隋)
  • 第320窟(盛唐)
  • 第16・17窟【蔵経洞】(晩唐

 蔵経洞と呼ばれる17窟は、かの敦煌文書が発見された場所である。この窟についての資料館が併設されている。

  • 第249窟(西魏)※窟内はいずれも撮影禁止、写真は博物館内にある復原

 正面の塑像は清代のもの。ガンダーラ様式風の壁画で、天井には海中に立つ阿修羅像を始め様々な思想が折衷したものとなっている。四神のうち、白虎のかわりに人皇(9つ頭がある)が入っていたり、西王母東王公出行図があったり、狩猟図があったりである。狩猟図の狩人の服は鮮卑様式だとか。


12時の集合時間までに、入口向かいにある敦煌石窟文物保護研究陳列センターまで回りきれなかった。いったん宿に戻り、昼食。

驢肉黄麺という、一応敦煌名物の麺。12元。驢馬肉だそうだが、缶詰めのように煮込まれ味付けされているので特にこれといって変わった味はしない。
麺は辛くなく食べやすいお味。別に敦煌に驢馬がいるわけではないらしい。