03 敦煌2日目後半(西千仏洞・敦煌古城・白馬塔・沙州故城)

 さて午後は、西千仏洞・白馬塔を回る(結局そのほか、烽火台と敦煌古城、沙州古城遺址も見た)予定。半日のチャーターで200元/1台。午前中に莫高窟に行ったのと同じライトバン
 飛天賓館を13:30に出発し、西千仏洞に着いたのは14:15。途中の道の半分以上が工事中で、未舗装の道をひた走った。ぼろいライトバンの揺れがすさまじく、45分の道のりはなかなか疲れた。でも景色がなかなかすごくて飽きなかった。なーんにもない砂礫砂漠なのだけれど、その広さ無限さに、小日本から来たあずま夷は、ぽかーんと見とれるばかりであった。

西千仏洞

  • 入場料20元(学生?)

 敦煌市西南約35km。党河という川の河岸段丘上にある石窟で、莫高窟がもともと千仏洞という名前であるので、それに対して西千仏洞と呼ばれる。

現存する石窟は19ヶ所で(現在、公開は5ヶ所)、莫高窟と同様式の北魏、唐の壁画が残っているが大半が破損しており、莫高窟のように宋・清代の補修が大々的に入っていないため壊れたままの状態で公開されている。余計な手が入っていないので却って良い、とも言える。莫高窟の古い補修はひどく、おいおい落書きかよと思えるような後世の補修(それなりに一生懸命やったんだろうけど)も多かったので。
 規模は小さく、閑散としており我々が行ったときには最初から最後まで他の客は来なかった。券売所にもだれもおらず、係員たちは広場でのんびりと遊んでいた。各窟は莫高窟同様、扉があり鍵がかけられている。見学者には逐一係員が鍵を開けて見せてくれ、簡単に解説もしてくれる(もちろん中国語のみ)。莫高窟で日本語解説を聞いた後だったので、製作された時代を聞いただけでもふむふむと莫高窟の様式を思い出しつつ、面白く見ることができた。

 2009年発行の中国のガイドブックには10ヶ所公開されているとあったが、現在は5ヶ所のみとのこと。いわく、見学の度に扉を開けることで差し込む日光や、見学者の吐く息などによる壁画の劣化を防ぐためだとか。本当にそうなのか、係員が面倒くさいからかのかはわからない。もちろん、文化財保護のためには至極真っ当なご意見なのだが。
 見学できたのは

  • 第3・4窟(盛唐)
  • 第5窟(北魏

 西千仏洞で最も初期段階の窟。像は清代。

 インド様式。主像・脇侍とも顔だけ破壊されている。

 奥壁は西夏の涅槃図。ダイナミックな筆致で見物だが、書きかけ。


だけ。え、これだけ?と思って最後にもう一度、3・4窟を見せてもらった。莫高窟を見た後だと「しょぼい」と思わなくもないが、ド観光地化されている莫高窟より、却って趣があるというか落ち着いて見られるのがよかった。


そこから市内方面に戻る途中、道路の近くに烽火台があったので車を停めてもらった。

烽火台(明清代)

  • 入場料なし

 運転手曰く、明清代とのこと。確かに新しそうではあった。磚(というよりレンガ)で造られており、脇っちょには後世のものっぽい竃が造られていた。


烽火台から見えるところに「敦煌古城」なるさびれた観光地があった。

敦煌古城

  • 入場料40元(学生票なし)

 同行者H氏はまったく乗り気ではなかったが、西安の阿房宮テーマパークのようなさびれた観光地好きの私としては、怖いもの見たさに、行かないわけにいかない。40元はまことにもったいない限りだが、H氏を巻き込んで見学。
 そもそもここは日中共同製作映画「敦煌」撮影の際に作られた実物大セットであり、五代の頃の敦煌城を復原したものだそうである。内部の仏廟、酒楼、市場などの建物は宋代の絵画資料(清明上河図あたりだろうか)をもとに再現されたもの。その後も映画やドラマの撮影に使われ続けているそうである。さびれていることを除けば、太秦映画村のようなものか。案内によっては「倣宋古城」と書かれている。



 案の定人影はまばら、中もさしたるイベントをやっているわけでもなく、1、2軒の売店に人がいるのみである。また一番奥で馬に乗れるコーナーもあるが、これまたすさまじい寂れっぷりである。西安の阿房宮テーマパークのような、やっちゃった感を楽しむというオプションもなく、見学後に残るのはなんともいえない寂寥感だけである。

白馬塔

  • 入場料15元(学生票なし)

 市内外れにぽつんと建っている。旧敦煌城内の範囲内だが、現在は町外れとなっている。鳩摩羅什の伝説がある。
 

4世紀末にクチャの高僧鳩摩羅什西安から敦煌に至ったとき、そこまで一緒に旅してきた経典を担がせていた白馬が死んでしまった。鳩摩羅什は大層悲しみ、食べ物も喉を通らないほどに憔悴してしまったが、そんなとき夢枕に白馬が現われ「私は仏の使いです。ここまであなたに降りかかる災厄を避けつつ一緒に旅してきましたが、もう私の役目は終わりです。悲しんでないで仏道のため、先に進みなさい」と諭したとか。そこで鳩摩羅什は「そうだ!ぼくの旅はこんなとこで終わってはいけない。先に進まなくては!!」と思い直し、ここ敦煌の地に白馬を供養するための塔を建て、経典を運ぶ旅を続けた。

経典を運ぶ白馬といえば洛陽でそんなお寺があったような…と思ったら、あちらの白馬寺鳩摩羅什とは関係なく、後漢明帝の時の迦葉摩騰竺法蘭というお坊さんの伝説でした。経典と白馬、何か象徴的な意味があるのだろう。


さてこれでチャーターの内容は終わり…と市内に戻る途中、またも目に付いた遺跡があったので車を停めてもらった。

沙州古城遺址

  • 入場料なし


 市街地の西、党項河西岸に残る城壁跡。道路沿いに、いきなりある。敦煌故城とも言われる。前漢元鼎6年(前111)に敦煌郡が置かれて以来、シルクロードの要衝都市として栄えた城の跡。清の雍正3年(1725)に敦煌は現在の場所に移された。
 ここは旧城の西北角にあたる。崩れかかった城壁と見張り台が残るだけだが、これまた観光地化されていないところが良い。ちょうど日が傾き始める時で、見張り台に登ると遠くに砂漠、鳴沙山が見え、旅愁満載であった。


結局、当初予定を大幅に超える内容で運ちゃんを使い倒したことになった。
 夕食はまたも沙州市場で、羊肉串と野菜の砂鍋。この日のビールは西凉ビールだった。


 帰りに、昨日会った隋さんの仮店舗に立ち寄った。あいにく隋さんは不在だったが、旅人ノートと隋さんツアーの料金表を見せてもらう。日本人と相談してツアーの内容や値段を決めているというだけあって、なかなか魅力的なツアーが並んでいた。ガイドブックに載っていない遺跡などをめぐる「発見・探索ツアー 800元」に心魅かれたが、今回の日程では残念ながら時間がない。もうひとつ「天の川ツアー 70元」というツアーがあり、いたく魅力を感じる。さすが、日本人の心に訴えかけるネーミングである。
 明日は天水から来る友人Lが合流するため、Lの到着を待って今後の予定を決めようと思う。