張掖ー武威 移動編

張掖から武威へのバス移動。

 張掖のバスターミナルを出てから1時間。山丹県のバスターミナルに着いた。ここで意味不明な長時間の停車。中国のバスにままあることだが、時間調整なのだろうか。「何分休憩します」とか言ってくれればいいものを、運転手も何も言わずに放置するものだから、他の乗客もまだかまだかと落ち着かない。
バスの駐車場に隣接して(というか共有して?)自動車教習所があった。軽トラのような荷台付きの教習車に、ぎっしり人が乗っている。なぜか子どもも乗ってたりする。子連れで来ているのだろうか。

小一時間後、ようやく再び発車。


 張掖と武威の間は、シルクロード河西回廊の中でも特に「回廊」を実感できるポイントである。北にも山脈、南には延々と祁連山脈が続く。西へ抜けるには、ここを通る以外に道はない。まさに「回廊」と呼ぶべき地形である。シルクロード交易にとってここが要衝であり、ここの支配をめぐって匈奴と漢が争ったのも納得である。

しばらくすると国道の北側に、長城が見えた。

地図を見ると「明代長城」とあり、どうやら山丹県と永昌県の間数十キロにわたり、国道はこの長城に沿って走っているらしい。ところどころに、烽火台や城跡もある。


延々と続く長城は圧巻であり、先ほどの山丹での時間ロスも忘れて、しばし見入った。北辺の守り、そしてこの長い長い壁を延々と突き固め作り続けた当時の人々。
 張掖と武威の移動は、バスを強くおすすめする。列車の路線はやや異なる場所を通っているため、この光景を見ることはできないからである。

酒泉編

 酒泉、旧名粛州。「甘粛」の名称は、この粛州と甘州(張掖の旧名)に由来している。古来河西回廊の重要オアシス都市として栄えた歴史ある町だが、観光しようと思ったら半日で足りてしまう。結局、嘉峪関から日帰りで済んだ…というか、お昼には嘉峪関に戻れてしまった。
 朝08:15、嘉峪関の蘭新公路と新華中路の交差点東南(交通賓館のすぐそば)から、乗り合いタクシーに乗る。同じ場所からミニバスもしょっちゅう出ているのだが、ちょうどバスが行ってしまったところだったので、タクシーに乗ってみた。「酒泉、酒泉〜」と声をかけてくる運ちゃんがたくさんいる。1人15元、35分ほどかかり08:50に酒泉到着。嘉峪関より栄えてる感じ?嘉峪関にはなかったケンタッキー、dico'sがある。

鐘鼓楼

 タクシーに、鐘鼓楼近くで降ろしてもらう。

現在でも酒泉の中心部である。創建は前涼といわれているが、当然ながら今建っているのは最近のもの。写真は東側で門額には「東迎華岳」とある。西はハミ、南は祁連山、北は砂漠へ続くと書かれている。かつてここは、シルクロードの分岐点であった。…が、今はまだ朝9時前。寒過ぎて動けないので、ひとまず近くのケンタッキーに入って朝ご飯。ホット豆乳に癒されまくる。旅行中の貴重なたんぱく源だったりする。

酒泉公園

 鐘鼓楼前から9路のバスに乗り「西漢勝跡」バス停で降りる。約15分。入場料は学生割引で15元(通常30元)。

町の名前の由来となった「酒泉」がある公園である。

霍去病が河西回廊での対匈奴戦で勝利をおさめた。そこで武帝が酒を下賜したが、全軍に行き渡る量ではない。そこで霍去病は全兵が口にできるように、酒を泉に注いだ。すると泉の水は酒になり、美酒が湧きつづけた…という伝説による。それを別にしても、この水は名水らしい。今でも湧いている…っぽかった。

公園内には大きな池があり、通常ならボートに乗ったりできるようである。なにしろ全部凍っていて、真っ白。散歩してみたが、寒過ぎた。


 これで酒泉終了。この時点で10:40。またバス9路に乗り、西関バスターミナルへ。11:10発車の、嘉峪関行きバスに乗る。バスは3元。11:55、嘉峪関バスターミナルに着く。昼食は昨日と同じイスラム食堂で、同じ麺を食べる。ホテルに戻って13:00チェックアウト。駅までバス1路で20分。

昨日買っておいた切符は15:30のだったので、1本早い14:19発、K592次の切符に換えてもらう。硬座で嘉峪関ー張掖、38元。ほんとに小さな駅で、待合室は1つしかない。

 列車内は空いていたので、勝手に窓際の席に移動。車窓からの景色は、ひたすらの荒野、砂礫砂漠である。車内に時々流れてくるBGMの中に、米米CLUBの「愛してる」があってびっくり(インストだけど)…。懐かし過ぎる。「君がいるだけで」のB面だったなあ。

張掖編・2

黒水国城遺址

 09:45、流しのタクシーを捕まえて「黒水国城堡遺址へ行きたい」と告げる。1台目は場所がわからないといって断られた。2台目の運ちゃんが多分わかる、というので乗った。日本人だというと、去年乗せた日本人にもらったんだ、とキーホルダーに付けてある50円玉を見せてくれた。そうそう。こういうとき、自国のお金やなんかを見せたりあげたりすると、喜ばれるのだ。だがあいにく私は中国元の財布と日本の財布を完全に分けているので、いつも持っていない。30分走り、10:15、それらしき場所に到着。この看板はどうも、この遺跡をダシにしたレストランか何かの看板のようだ。

 看板を左折して少し走ると、遺跡に着いた。なるほど、砂に埋もれている感じが雰囲気あって、観光客向きなわけだ。しかし人は誰もいない。


石碑を見ると、この南城は明代のものらしい。道理で城内には、やたら新しい磚がガラガラ落ちている。するとこの辺り一帯によくある明代の要塞遺跡であり、さほど珍しいものではない。ただ、埋もれっぷりがロマンをかきたてる場所ではあるため、ガイドブックに載っているのかもしれない。北城では古いものも採集されているようだが、タクシーを待たせていることもあり、今回は探さなかった。城内に散乱している磚を使って、地元民か誰かが文字を作ったらしい。城壁のほか、城内にも何か建物の壁が一部のこっている。



なんだかんだ、見ていたら30分以上経っていた。タクシーに戻り、市内の大仏寺まで。メーターは73元だったが、70元にしてくれた。

大仏寺

 11:20、大仏寺(宏仁寺)到着。西夏の永安元年(1098年)創建。マルコ・ポーロが『東方見聞録』に記録を残している。また、フビライ・ハンの生まれた場所であるらしい。

敷地内には、大仏殿・万聖殿(芸術庁)・蔵経殿(経籍庁)・金剛宝座塔(土塔)が並ぶ。一見地味なお寺だが、中の展示施設がかなり充実していて、おもしろい。

大仏殿の中には、体長34.5mの涅槃像が安置されている。大き過ぎて一度に見れず、全体像がよくわからないレベル。大仏殿の外側には、仏画が彫刻されている。



万聖殿、その中は仏教芸術陳列室として展示室になっている。大仏寺出土の碑刻や碑、仏像、仏画などのほか、張掖周辺の石窟寺の紹介などもされている。


蔵経殿。中は仏教経籍陳列室になっている。特に、明正統十年(1445年)に英宗帝の命で保存された「北蔵」経典についての展示、またその実物が見物。藍色の紙に金字で書かれた「泥金経」は荘厳で、迫力がある。また経典が丁寧に布に包まれ、木箱に入れられ、専用の棚に保管されていた様子も展示されている。




一番奥には金剛宝座塔がある。

万寿寺木塔

 健身広場の脇にある。もともとは唐代の創建だが、今のものは1925年に再建されたもの。釘を一本も使わない木造建築。5元で登れるが、やめておいた。

鎮遠

 これもなんてことのない、鐘鼓楼。酒泉のよりかなり大きい。中には入れない。


 ここまで見終わって13:30…。張掖にもう一泊する予定だったが、思いきって今日のうちに次の町に移動してしまうことにする。武威まで4時間とのこと、なんとかなるだろう。バス移動は、日のあるうちに着きたい。馬蹄寺石窟など、50〜100km郊外にはまだ見どころがあるのだが、それぞれ丸一日コースなので、今回の旅ではカットしてしまった。
 14:00、ホテルをチェックアウト。チェックアウト時間は12時までなのだが、大目に見てくれた。タクシーで東バスターミナルに向かう14:30、武威行きのバス発車。56元。4時間20分かかった。しかしそれは途中の山丹バスターミナルで小一時間の意味不明な停車があったためであり、あれさえなければもっと早く着いただろう。

張掖編・1

 予定通り、列車は16:40張掖駅到着。駅前からタクシーに乗り『歩き方』に載っていた張掖飯店へ。11元。


張掖飯店に着き、部屋も見せてもらい、シングル1日108元とのことなのでここに決定。

外国人だと思って、部屋の使い方を懇切丁寧に説明してくれる服務員。普通はこんなこと絶対されないのに…。お湯の出し方、テレビの調節の仕方などを丁寧にレクチャーされる。笑顔の対応に心地よい気分になったが、彼女が出ていった後に、ふとテレビ画面を見ると、関東軍なんとか戦略、隠されたなんとか作戦とかいう番組が…!なに、あの笑顔の裏に何があったの!?なんか挑まれているの!?と一瞬疑ったがまあ、偶然だろう。


 散策に出かけてみる。張掖は大きな町で、シルクロードの中枢都市としても栄えていた。かのマルコ・ポーロも1年近く滞在したという。そんな彼の像が、欧式一条街の交差点にぽっつーんと立っている。なんとも寂しげであった。

夕食は孫記炒炮にて。

炒炮。短い麺に、煮込んだ豚がのっている。小椀で8元。豚が柔らかくてうまい。この煮豚でビールを飲みたい感じである。また、無料で麺湯(ミエンタン・要は麺の茹で汁)が飲めるのだが、青菜の味がとても強い。そこで思い出したのだが、以前甘粛にいたとき、調理師さんが麺を茹でる際、必ず青菜を一緒に茹でていたことを思い出した。麺と一緒に、菜っ葉も放り込むのである。甘粛ではこれが普通なのか?

帰りにスーパーで買い物。ポテチの袋などがやや膨らんでいる。そういえば嘉峪関で、高度2000mちょっとあるらしい。ここもそれなりに高地なのだ。


 翌朝の朝ご飯は、古い街並みを再現した明清街にある食堂で、臊子麺4元。とろみのついたスープで、暖まる。明清街自体は、ただの食堂街になっていて、とくに面白みはない。

嘉峪関編・2

懸壁長城

 長城第一墩から20分。「懸壁」とは、この長城が鉄壁を空に引っかけたように見える、ことから命名されているらしい。元は明代のものだが、現在あるのは1987年に整備されたもの。頂上まで登るのに40分ほどかかった。

長城は黒い岩山の上に建てられている。

ところどころ、レンガが崩れていて危ない。

脇で羊さんたちが放牧されていた。やたら目があったので、ぱちり。

近くには、羊を追ってきているおじいさんが丸くなって昼寝していた。

黒山岩画

 懸壁長城脇から未舗装の砂利道に入って、20分。ただ川べりにあるだけなので、入場料等は必要ない。黒山岩画は黒山峽の岸壁に彫られた岩画で、その時期は新石器時代〜戦国時期くらいまでと言われている。遊牧民らしい狩猟や舞踊などの絵が描かれている。…らしい、が、運ちゃんが知っていたのは一ヶ所だけ。結局一ヶ所しか見ることができなかった。

嘉峪関景区

 黒山岩画から20分。嘉峪関長城文化旅游景区に到着。運ちゃんが、自分はここで帰る、ここから市内はタクシーで10元で帰れるから、自分への支払いは290元(当初の300−10)でいい。と言い出す。おいおい、と思ったが、ここは見るのに2時間くらいかかるから、とのこと。しょうがないので承諾する。実際、見るのに2時間かかった。


なぜかある、林則徐の像。と思ったら、新疆に左遷される際、ここ嘉峪関で詠んだ歌があるらしい。「出嘉峪関感之賦」。なお、この林則徐像の周囲に、黒山岩画をテーマにした公園がある。

敦煌旧塞委荒烟,今日阳关古酒泉。
不比鸿沟分汉地,全收雁碛入尧天。
威宣贰负陈尸后,疆拓匈奴断臂前。
西域若非神武定,何时此地罢防边。


池は凍っていて真っ白。

馬道。斜面の部分は、荷を載せた馬が通るために作られている。

嘉峪関、そのものは最近の修繕でぴかぴか。あまり風情がない。しかし足下を見ると、摩耗した石畳が。おそらく馬車の車輪で削られた跡。建物は修理してあるが、床石はそのまま古いものを使っているらしい。古ければ明代のもの。まあ、わからないけど。

そしてこれが「嘉峪関」。この門の外で、馬やラクダに乗れる。もちろん乗らないけども。

そして景区内に、長城博物館がある。展示はなかなか充実していて、嘉峪関だけではなく西北地域各地にのこる長城について知ることができる。展示物のうち木簡などはほぼ複製品だが、じっくり見る価値のある博物館である。


このあたりは宋代には西夏の領域であったため、西夏の陶器なども並ぶ。西夏の陶器は独特の風情があって、けっこう好き。粗っぽいけど品がある。


 チャーターした運ちゃんの言ったとおり、嘉峪関景区からホテルまで10元で戻ることができた。4ヶ所見終わって、この時点で15:40。嘉峪関の主要観光地は、1日あれば回れる、ということだ。夕食は清真食堂で、炒拉条8元。無料でついてくる牛ダシのスープが旨かった。

嘉峪関編・1

交通賓館

 蘭州からの列車で、早朝6時半に嘉峪関駅に到着。『歩き方』に載っている雄関賓館に言ってくれ、とタクシーのおばちゃんに告げると「雄関賓館より、向かいにある交通賓館の方がいいよ」と言われ、言われるままに交通賓館へ。雄関賓館は覗いてないので、値段は未確認。交通賓館は標準間(ツイン)で168元。朝食はつかない。新華中路と蘭新公路の交差点西南角、近くに大きいスーパーもあり、立地は悪くない。この田舎町にしてはいい方のホテルだと思う。

 ホテルまで連れてってくれたおばちゃん運転手に、タクシー1日チャーターの料金を尋ねてみる。明日行きたい場所はタクシーでないと行けないのだが、どうせチャーターするなら女性の運転手の方が安全かも、と思い携帯番号を聞いておく。

魏晋壁画墓(新城墓群)

 1時間ばかり寝て朝8時、おばちゃんに電話して頼む。約束の9時半にホテルに来てくれたのは、おばちゃんともう1人のおっさん。どうやらおばちゃん本人ではなく、このおっさんの方が今日つきあってくれるらしい。値段と行き先の説明の間は、おばちゃんもいてくれた。というかおっさんの標準語が訛りまくっていて聞き取りにくいのだ。
 交渉成立、魏晋壁画墓・長城第一墩・黒山岩画・嘉峪関の4箇所で300元、と相成った。『歩き方』によると相場は200元くらいなので、多分ぼられている。でも辺鄙な場所かつオフシーズンなので、変に値切って反感もたれてもやだなーと思い、そのままにした。しかし行ってみてわかったのだが、いずれの場所もそんなに遠くない。例えば魏晋壁画墓は、嘉峪関市中心から30分程度で着く。まあ行ってみないとわからないので、仕方ない。お昼ご飯替わりの水とお菓子を買い込んで乗車。

 10時、魏晋壁画墓到着。ゴビ(砂礫砂漠)のただ中にある。入場料は学生(半票)で16元、普通は多分30元。今回の旅も、ほんと学生証様々である。おかげで随分、旅費が浮いている。場所によるが、日本の学生証でも有効な場合も多いので、出してみる価値はある。入口から車で2分ほど走ったところに、壁画墓の実物があって、鍵を開けて中に入らせてくれる。中は写真NG。ホントに保存がよくて、とてもきれい。鮮やかな色が残っている。当時の貴族の日常、食事などの風俗が描かれている。70年代に13基ほど発掘されているはずだが、見れるのは1基だけ。磚室墓がまるっと見れるので、なかなか面白い。これが復元でなく(修理はしてると思うけど)、そのまんま残っているというのだから、すごい。

入口付近に博物館があり、彩色された木棺や出土遺物がある。ここの出土遺物は、嘉峪関景区内の長城博物館や、蘭州の甘粛省博物館にも展示されている。

万里長城第一墩

 魏晋壁画墓から40分。墩は物見台のこと。明代万里の長城の最西端にある物見台。嘉靖年間に築かれた。
通票(セット券=嘉峪関・長城第一墩・懸壁長城)が学生券で50元。通常は120元。

また、墩から北に向かって長城が展びている。漢代にせよ明代にせよ、右側が「中華」であり左側が「夷狄」であったと思うと感慨深い。

 墩の南側には討頼河が流れていて、絶壁になっている。その討頼河を真上から見下ろせる施設が併設されている。足下がガラスになっているのだが、ものすごい高さで、怖い。


続きは嘉峪関編・2で。

12 トルファン2日目 高昌故城・交河故城・蘇公塔

2010.10.24
☆タクシーチャーターし、高昌故城・交河故城を見学。蘇公塔。


08:30 ホテルの朝食。

09:10 流しのタクシーを捕まえて、チャーター。1日150元で行ってくれるという。北京で1日チャーターしたら600元前後だから、さすが地方と言わざるを得ない。

高昌故城

10:00 市街から東に約45km、高昌故城に到着。入場料は1人40元。

入口はなかなか地味で分かりづらい。

城内の地図はこんな感じ。広い。見て回るのに、2時間以上はかかる。ちなみに我々はかなり萌えたので、3時間も見て回った。後でタクシーの運ちゃんがあきれていた。運ちゃんの認識では、1時間程度で見終わる観光地、だったらしい。

中を散策していると、子どもたちが馬車に乗らないか、と声をかけてきた。写真を見るとほほ笑ましい光景だが、彼らも商売。かなりしつこく追いかけてきたので少し、うんざり。

塔などもしっかり残っている。

奥の主要な建物は、現在修復中。かなり直しちゃってるので、良いんだか悪いんだか。ぴしっ。と直してある。

東北角にある寺院跡の中には、壁画が残っている。

高昌故城は前1世紀〜14世紀まで、この地域の政治経済の中心地だった。13世紀にチンギス・ハン軍によって襲われ、廃虚となった。

入口にいる、物売りの親子。女の子がかわいい。



13:00
葡萄干し用の小屋。至るところにある。多くの民家の2階に、併設されているようだ。

交河故城

14:15 昼食はおかしやパンで済ませ、続けて交河故城へ移動。入場料は36元。中は広大で、見て回ったら17:00になってしまった。またも運ちゃんがあきれていた。








蘇公塔

17:20 最後に市内近くの蘇公塔へ。運ちゃんとはここでお別れ。入場料は27元。新疆は西にあるので日が長い。19時過ぎても、まだまだ明るい。